日月 of LIWS

北と南の作家がメールのやり取りで構築した
想像の共作空間作品を
京都安楽寺の美しい庭に囲まれた書院にて組み上げた
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左:火と水の場を重ね図式化したもの。右:図面。黄金比が各所に組込まれている。

ふたつの場
ひとつは水が張られた丸い水盤を中心に和紙で閉じられた桐の箱が取り囲み、
ひとつは四方の天に延びる棒の下部を囲む桐の箱。
そしてそれに組み合った古代から儀式にも使われてきたという椰子科の植物の網の傘の存在。
ふたりの作家がその作為ではなく、直感と対話による意識の深層の声を聞きながら自然の流れにまかせて構成されていったカタチに、本人たちにも想像出来ず、解らないものが出来上がった。

対極と相似と連想
若山和央と小川京子 もちろん男と女 出身が北の北海道と南の沖縄
同じ年生まれ 11月7日 と7月11日  陽の数9 血液型O
・若山和央 3代前まで京都人。ウガ(生命力、同じ意味でペルーではワカと言うらしい)の魂 山=モリ「和」はヒモロギ(神のヨリシロ)にかけた箱を指す。 上から来る何か。大雑把に男性原理ハードウェアと言葉。
小川京子(この名にもウガがかくれている)(旧姓下地)大地、地下、水の流れ  下から来る何か。大雑把に女性原理、ホスピタリティと包容。流れる水/玉城-たまぐすく(沖縄の住所)の 何かを護る存在
玉(空 うつ 奇 くしき もの)
城(ぐすく 石で囲まれた結界 まもる) 
[今回に関わる対あるいは2] 両儀(陰陽)-四象-八卦/天地/生死/男女/円と方/水と火/伏義と女堝/鈴虫姫・松虫姫と注連上人・安楽上人 
[偶然のような必然のような]
小川さんの誕生日7月11日と僕のが同年11月7日で面白いなあと思ってたら、「絶対何かある」と電波が来て最初の日にいらした在京アメリカ人女性画家カティアのお母さんも11月7日。彼女自身が僕の母と同じ誕生日9月27日(9+2=11)帰ってきてから友人がサイトを見て何か感じて詩を送ってくれたのだが、彼女の名前は小川圭、とこれまた似てる。そしてまた同じ年生まれ、誕生日が11月16日(1+6=7)ここに出た6人の誕生日の全部の数を足した数字は皆9…
カズオ、キョウコ、ケイ、カティア と全部イニシャルもK、であった。

「黄金比」という数字を入れてみる事

黄金比 1:1.618
ピタゴラス「宇宙は数の神秘に支配されて調和を保っている」
自然の形態決定の中に数学的秩序を見いだしたり、人体や芸術作品の美しい比例を作り出しているのは数である、との少しばかり数秘学的アプローチで見いだされた数字。
若山も小川も数式とは無縁のところでものを作ってきたのだが、今回これは自分たちに欠けてるのものではないか、あえて試してみようという事になり、言葉、数式、神話歴史と普段使わない脳を使ってみた。
インスタレーションという形式はこういう展開にふさわしいのかもしれない。
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そして小川圭さん
特殊なルートをもつだんなさんとアフリカ民芸品を扱う店をやってる友人。この展覧会の写真を見て自発的に書いてくれた詩がなんともピタシはまって大感激!こんな詩人だとは今までつゆしらず…。前段の「対極と相似と連想」にある通り、妙な縁も感じます。ホロスコープではどっぷり「水」なので水に関してはすんなり出て来るらしいのですが、無理に今回「火」をお願いし、ちょっとテイストは違うのですがまたまた素晴らしいものを書いて下さいました。
[若山→小川京子メール]
1 宮古から帰って何か変化がありましたか? 僕は内部でけっこう変化です。
「生命力の容れ物のデザイン」がいかなるものか。当初思ってたものからズバズバ削ぎ落とされて超シンプルになってきました。今までとは対極に位置する位です。密教的なものから神道的な「清々しさ」みたいなものに。
ずっとボーッとしてて、いきなりやる気になったんですけど、やっつけ仕事のように急遽つくるものが長年の蓄積から産まれる小川さんの造形と対なわけがありません。会場でひとつのアクセントのように波動が発信され、響き合って小川さんの作品がより生きるものになれば本望、と思ってます。あわよくばこれが種となりますことを。
2 桐の箱が和紙で密閉されて2m四方に8つ配置されたふたつの場。てのを考えてます。片方は水の入った円盤 中央に沸き上がるような水柱。片方は中心から天に向かって広がった青い鉄パイプの真ん中に中釣りになり揺られる火の壺、礼をふまえた儀式のような水の取り替えと、定期的な火の揺らし。
ここは禊と生成が起きる「場」(ニュートラルな)であり、小川さんの「意味」なり「かたち」が生まれ出ながら空間を守り育むーのかどうか、今の時点で限定しませんが、そのような気持ちも考えていただいてーとか今の所考えてるんですが。

■伊藤俊治氏(芸大教授・評論家) 
(水の場に下がっている編まれた蛹のようなものをさして)バリのテンガナンの森に 赤ん坊が生まれるとその時出て来た胎盤やへその尾を森の木にぶる下げる風習があるんだが、あの天蓋はそのものだ。
■経済関係で働いているインド人(ボンベイ出身水柱に水かけながら)
インドにも似たようなものがあって似たような事をする。(シヴァのリンガムにミルクをかけたり花を捧げる)
■宮崎興二氏(京大教授 形と科学・宗教の関わりの研究者)
(黄金律が入っている事を知ると俄然身を乗り出し)それならヒトが造ったものだ。智が力になる。
(あえて水に赤色、火に青色をと印象・通念と逆をやったことに対して)そんな事は虫がやることだ。(意味不明w)

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鉄の四角垂と赤い水盤
アメノヌボコ 天沼矛 神々がイザナミイザナギに与えた2種の神器
伊邪那岐・伊邪那美の二柱の神は、別天つ神たちに漂っていた大地を完成させることを命じられ、天沼矛を与えられた。伊邪那岐・伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で、渾沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが、淤能碁呂島(おのごろじま)となった。伊邪那岐・伊邪那美は淤能碁呂島で結婚し、大八島と神々を生んだ
天地創造  「沼」は丸い水 コンパス 円の動き
『日本書紀』では天之瓊矛・天瓊戈と表記される。「瓊は玉のことである」と日本書紀本文に注釈があり、「天之瓊矛」は玉で飾られた矛ということになる。
矛は真っ直ぐ 乳海拡販 したたり落ちる塩で「オノコロ島」淡路の5色の石 となる。

八重垣神社佐久佐女の森奥にある鏡の池  クシナダ(奇し稲田?)姫を護る垣(結界 グスク?)
■丸い水-鏡/矛-剣/玉-勾玉
・太陽を水面に映し黒点観察(吉凶予測)-八咫烏伝説-

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ご住職の奥様あずみさんから会期当日に汲んできていただいた琵琶湖竹生島の地中からの湧き水を
宮本亜門さんが秘蔵のガンジス上流の水を
京に来る日に富士浅間神社の水を
そして毎朝京都中の「銘水」と言われる湧き水を汲みに行き、いただいて注いだ。
まず前の日までの水はお庭に撒き、少なくなった所であたらしい水を注ぐ。
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若山←→あずみさん メール
●天水 あまみ あまみず あずみ って似てます
(注 天水とは沖縄の雨。あずみは今回のプロデュースして下さった安楽寺の奥様の名。最近水に強く惹かれている)
●水の結晶のハナシとかきいたことあります?ありがとう、とかきれいだね、って美しい言葉をかけると、水がとてもきれいな結晶を作るんですって。
■そうそう、そうですってね! 忘れてたけど思い出した。言葉って大事ですよね そしてその言い方も。
●ほら 南無阿弥陀仏しか唱えない浄土宗で武家出身の注連上人と安楽上人は山に入ってまでその念仏修行してたんでしょ?
■そう、両姫はじめ その声明の美しさに誰もが魅かれた って…。(注 このあたり安楽寺ゆかりの松虫姫鈴虫姫説話。)松虫姫鈴虫姫伝説
●これ、「美しさ」と単にいうよりも、もっと凄い…、聴いた人の存在自体を純化させてしまう程のものではないのか、なんて思ってるんですよ。聞いたとたんにラジカル(根源的)になり、虚の世界から実の世界へ移らざるを得なくなってしまうような…なんて。俄然、どれほどのものなのか、ききたくなってしまいます。
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これには京都に行く数日前に受けた講習が伏線としてあった。
物部神道という天皇の側にいつもいた、呪術を使う神道の一派の「霊鎮め」といわれる儀式の何たるかを聞きに行った時、その中で「祝詞は何だって良い。自分に合ったと思うものでそれを心から唱え、玉のようなものに籠ったと思ったらそれを手のひらにのせ、相手の胸にそっと優しく置く。というもの。とてもプリミティブな、気持ち本位のものだったのだ。

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「イザナミが最後に生んだのはヒノカグツチという火の神であり、この神を生んだことによって、イザナミの神は陰部を焼かれて死ぬ。夫のイザナギは、持っていた トツカ剣を抜いて、子どものヒノカグツチの神の首を切り落としてしまった。そうすると剣についた血から、 イハサクの神をはじめとして8神が生まれた。また、殺されたヒノカグツチの神の体からは、マサカヤマツミの神をはじめとし8神が誕生 した。」
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大祓の儀式でたまに行かせていただく八ヶ岳の古神道、身曾岐神社では、火と水をカ・ミと読み、それぞれ火の禊、水の禊をする。
はらへたまえきよめたまえ 
この先、力ある、正しい道を踏み出すのに、きよらかな心体であること。
なんとシンプルで奥深く、究極の概念なのだろう。
「おしえ」でなくモノや声、肉体といった言葉でない所への回帰は常に宗教には必須ではないかと思う。
「念仏」に戻って行った安楽寺縁の法然上人もそうなのだろう と、この寺にいてはたと気がついた。

さて「火」であるが、明るい、熱い暖かい、焼き払う…私は、ヒトにとってプラスにもマイナスにもなるその大きな力を少しは制御しつつも敬い畏れてきた、動物から脱した時からの長い足取りにとても興味がある。「禊」ということが現在ほとんど象徴的に水でというように思われるが、神道の古いものや、拝火教から密教へつながる「強力な消却力、エナジーチャージ」と言った面があることに焦点をあててみたい。現実的には焼き畑の例もある。生命力と密接に絡んでいるのだ。

ここの黄金比の構造の中心にまるで原子炉炉心のようにおはす「お火さま」。

南インドマデュライのミナークシ寺院、そのお香と花、バターのむせ返るような暗い地下の部屋全体がミラーボールよろしく五色の鏡張りになった空間で、天上から下がったブランコに女神の小さな光る金属人形がおかれている。部屋の外に座った僧侶はそのブランコにつながる細い紐をゆったり引っ張ってはブランコを揺らし、低く小さな声で何か歌っている。像にあたる光は部屋中にきらめき、五色の光が乱舞してとても神々しく美しい。
大地の女神を楽しませているのだ。
日に一度、寺院の周りを楽隊と踊り子つきの山車に載せ、にぎやかにお散歩もする。

焼き締めの壺 
水でこねた粘土を火で焼き、子宮のような釜から産道を通って出てくるものは、まるで大地を肉とした、火と水の交合から生まれる赤子のようである。
「焼き締め」というのは通常の石の粒子をくっつけるだけの焼きではない。
石粒子が融けて周りと融合しつつ全体の形は保っているという、形がそのままひとつの石になってしまうような事なのだ。だから粘土の時からすると15%も小さく締まってしまう。
沖縄系の作家真喜志さんにはいつもこういった焼き物をお願いしているのだが、3次元立体の図面をその収縮率を体験的に見据えて、正確に出来上がるのには毎回驚嘆している。

壷はぶる下げられ、中に火が燃え、その上にある皿には香油がたらされる。
そして香油から湯気がたちのぼり
人が見るたびにそっと押し、ゆったりと揺らす。

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八つの桐の箱
「無でなく空。清浄な力ある気。」
スサノオはクシナダ姫のためにオロチ退治にのりだした。家のまわりに8つの門を設けた垣をめぐらし、そこに8つの酒樽を置いて待ちかまえると、オロチは酒を飲みほし、酔って眠ってしまった。そこを十拳剣(トツカノツルギ)で切り散らし、その尾の中から一振りの太刀(クサナギノ剣)が現われた。
 「八雲立つ出雲八重垣妻込めに 八重垣造るその八重垣を」
・天叢雲(アメノムラクモ)の剣 クサナギの剣(これはヤマトタケルが使った時についた名前。火のついた草むらを薙ぎ払う。 草薙 奇し蛹?尾の中で熟成か) をトツカの剣で取り出す ・ナギは熊野系の神社のケガレを祓うという木  奇(クシ)ナギ?
・トツカ(十拳)--握り10個分の長さ or 10個の柄が放射状についた太陽のような儀礼的(?)なもの
・円卓の騎士が剣先を中心に円形に並べ,中央で火を焚く。「和」の象徴
.湖の騎士ランスロット 湖の精霊から剣を授かる

幾何
空奇 うつ・くしき
===言葉羅列===
桐の箱:防腐防虫と湿度調節、呼吸/
うつろ/ウロ(虚)/うつつ/こもる/はらむ/蛹/卵/竹の中のかぐや姫/貴人漂流譚/気配/ニュートラル/
棺桶/死と再生/亀甲墓/ミイラの語源ミルラの意は樹脂/墓の上に建つ拝所/カタコンブ/玉手箱

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