サイパンInstallation of LIWS

サイパンの海に想いを込めて

いろいろ重なる 自然人工喜怒哀楽

 ラ・フィエスタ・サン・ロケ というその商業施設の名前を聞いた時、頭に「ラ ク テ ン テ キ」と響いた。「サ ン タ フェ」ともきこえた。
 この出来たばかりで、まだテナントが入っていないショッピングモールのスペースにインスタレーションを、という依頼だ。
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 現地に立った時。聞こえた言葉のイメージからは、さほど外れてはいなかった。
 太平洋のリゾートなのに、アメリカインディアンのアドビ建築風のでこぼこ入り組んだ桃茶の外壁、名前とコンセプトはスペインーメキシコ。あちこちから客を乗せて周回する無料バスはカラフルで、これはディズニーランド。
 ちょっと前に、アメリカ、ニューメキシコ州のサンタフェに行ったことがあった。
 サンタフェは条令で、アドビ風建築で大地の色、桃茶の外壁、と決められているので、街の外から見たらほとんど「インディアンの街」である。内装も売ってるものも、ほとんどインディアンもの。
 ところが店員は白人ばかりだ。どこを見ても。
 インディアンはというと、路上で色のある石を売っていたりする。
 隔離された居留地では、彼らは保護金というアヘンのぬるま湯につかりながら酒浸り、肥満…。

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 そんな去勢される前の彼らの写真が本屋にあった。精悍な肉体と光る目を持ち、誇り高くすっくと立っている。凛々しく美しい。
 サンタフェは、白人の夢の中の西部。人工的で偽物だらけの商業アミューズメントタウンだった。
 それはそれでもいい。でも、日本人としてはそう単純に割り切ってラクテン出来ない。どうしても白人に対する怒りと、インディアンに対するシンパシーは当然持ってしまう。
 いや。怒りも同情も脇においておこう。すべて今現実にある事をそのまま眺め、その先の調和とイメージをつくっていくのが建設的だ。建前としては。
 …という気持ちを持っての「ラ・フィエスタ・サン・ロケ」である。

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サイパン

 巨石文明を持っていたチャモロの人達。隣のテニアン島には上下に半球をつけたような用途不明の大石がある。
 スペインに蹂躙、搾取され、侵略の先兵と同様の宣教師を殺してスペインと対決。住民5万人がたった2千人のほぼ女子供だけに。南北米大陸で起きた事と構図は同じだ。現地人を人間と見ていない。
 その後日本領になると沖縄の移民が大勢やってきて、砂糖をつくり豊かに。現地人に慕われたのだが、アメリカと戦い玉砕。日本人は大勢自殺した。
 森が戦争ですべて焼かれる前は、さぞや美しい自然と幸福な人たちがいたことだろう。
 そんなすべてを見ていた海は、ただただ悲しい。
 そうだ、どこか似てると思っていたのだが、ここは沖縄にそっくりだ。気候も地形も、起こった事も。

 ネイティブのチャモロの人たち、沖縄移民と日本人の痕跡、目白押し焼肉店の韓国人、欧州にズタズタにされたアフリカ系、インディアン系米人、今は大量の中国人とフィリピン人が席巻。様々な人種と民族がこんな小さな島の中で小さく沢山ぶつかってきた。
 サイパンは射るような日差しが眩しい。そんな明るさの中、音もなく寂しい風が吹いている。
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一度視察をし、日本に帰ってきて各スペースのオブジェを考えた。日本から持って行ったのは布、特注した素焼きの玉、縄、立てるための鉄、絵の具。そしてサイパンのものは島中を回って集めた。米軍の焼夷弾で焼け野原になった後、成長が早いというので導入されたタガンタガンという低木の枝。これはほかの植物を駆逐しながら海岸線にはびこりまくっている。ボージョーボというナタのような巨大な豆のさや。石と石化した珊瑚、それもまじった海岸の大量の砂、地元スーパーで買ったアメリカのおもちゃのボール、そういったもの達。

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