天使というテリトリー
美しく、無垢で、超越的でありながら、みずみずしいリアリティーの光に充ちたものがそこにある。私たちはそれを人間と同じような姿かたちをしたものとしてイメージしようとするが、手に触れようとするとそれは消え去り、はっきりと直視しようとするとその輪郭はまるで光景のように虹色にゆらぎはじめる。かぐわしい香りを放ちながら敏捷なクリナーメン運動の軌跡を描いて飛びまわったかと思うと、それはときに高貴なほどの沈黙と絶対の静止状態を持続させつつ「運動」そのものが生じる世界の彼方へと飛び去ってゆくのだ。
天使のこうした不思議な身体性と運動性について、多くの作家やアーティストが様々な表現と思索をくり返してきたのには理由がある。彼らはまさに彼ら自身の創造の行為そのものが胚胎する、「存在」へとすべてを固定化してゆく力をすり抜けるようなゆらぎの感覚を、「天使」という観念を呼びさますことによって表現の場に持ち込もうとしてきたからだ。その意味で、創造行為が―つの時代的発想を捨てて別の発想に向けて本質的な変化を示すとき、つねに新しいイメージを装備した「天使」が人々の意識のなかに召喚されることになったのだ。
存在と非在。男と女。肉体と霊。物質と精神……。存在とその属性をめぐるあらゆる対立項を解消し、あるいはそれらの交差を実現する場としての「天使」は、だから一つの特殊な「存在」としてとらえるよりもむしろ、意識の流動がそのままに生きることを許された―つの特権的な「領域」とみなすべきだろう。
天使という非空間的なテリトリーは、一種のブラックホールだ。存在が存在として形をとるために必要な速度をはるかに超えたスピードで、性も肉体もそのなかに吸い込まれてゆく。
そしてこうした意識のテリトリーを新しい造形感覚として可視的に提示するために、いま再び私たちの前にバルザックの「セラフィータ」がその未知の姿をあらわしたのである。
(いまふくりゅうた.文化人類学)
AD.D.山形秊央
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